夏の終わりに楽しむコトバノイロ物語
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夏の終わりに楽しむコトバノイロ物語

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夏休みの思い出

夏休みと聞くと、ぼくはいつも宿題のことを真っ先に思い出す。
考えてみれば、小学校の時から高校生になるまで、ほぼ毎夏は宿題に追われていたのではないだろうか。

しかし、具体的にどういう宿題が出ていたのか、ということまでは明確に思い出すことができない。
小学生の時は、漢字ドリル、算数ドリル、絵日記、自由工作ぐらいだっただろうか。中学に入ると、そこに英語などの教科が加わった気がする。もちろん、その中には読書感想文などもあった。

ひょっとしたら、武田は文系だから読書感想文なんてお手の物だったろう。と思われる人も多いかもしれないが、実は、そんなに得意ではなかった。というのも、課題図書としてあげられる本にあまり興味がなかったからというのもある。しかも、ぼくは普通のいわゆる先生が望んでいるようなお手本となるような読書感想文なんて書けるわけないので、それが苦痛でたまらなかった。

本当は「まず、第一に冒頭から母親のことを“おかあさま”なんて呼ぶなんて、ありえない。どんだけお坊ちゃまなんだよ。そして、そういう登場人物が出てくる作品なんてろくなもんじゃないと思いながら読み始めたが、最後までその先入観を拭い去ることはできなかった」なんていう読書感想文を書いたら、怒られるのは目に見えているので、そんなことはおくびにも出さず、ごくごく普通の当たり障りのない読書感想文を書いていた。そして、実はそういう人は少なくないんじゃないかっていう気もしている。

夏の終わりに楽しむコトバノイロ物語

コトバノイロに込めた想い

そんなぼくの屈折した読書体験は、紆余曲折を経て、大人になり、「コトバノイロ」につながったような気がする。

前述の書きたかった感想は太宰治の「斜陽」の冒頭シーンを読んでの感想なのだが、大人になった今でも、心のどこかで、「太宰って気障だし、構ってちゃんの意気地なしだから嫌いなのよ」と思いながらも、今では当時のような拒否反応はなく、むしろ「ほんと、どうしようもなく仕方のない人間失格な男だけど、まぁ、まぁ、そんな恥ずかしい姿をさらけだしちゃうっていうのもかわいいじゃないの」という(かなり上から目線だけど)気持ちで作品を読めるようになった。

そして、そこに退廃の美しさを見出すようになったのも、ぼくが大人になったからなのだろうか。

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読むことの面白さ

親の影響で小さい頃から本を読むのは好きだった。本さえ読んでいれば幸せだと感じる時期もあった。今は他にもいろいろと興味が出てきたので、昔ほどは読書量は減っているけれども、それでも、子どもの頃からの読書体験というのは貴重な財産だと思っている。

特にぼくが好きなのは、実用書とかではなく、あくまでもフィクションだ。いわゆる小説と呼ばれるもの。
小説の中では魔法だって使えるし、未来にも過去にも行ける。誰かのロマンティックな恋愛体験だって共有できちゃう。しかもべらぼうなお金をかけることなく。なんて安上がりなんでしょう!

中には、読んだことを忘れてしまう作品もあるけれども、大人になっても忘れられない作品と出会えた時は、無上の喜びを感じてしまう。そういう作品というのはプライスレスな人生の贈り物だと思っている。
だから、多くの人たちの小説を読むことの面白さも知って欲しいし、その作品をモチーフにしたインクを使うことで、少しでも日本文学に親しんで欲しいという想いもこのコトバノイロシリーズには込められている。

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書くことの面白さ

さらに、読むだけではなく、今度は書くことの面白さというのもコトバノイロシリーズでは味わうことができるようになっている。それこそ、自分なりの読書感想文を書くのも良いし、自分の好きな作品のインクを使って、日々の出来事や感じていることを書いていくのも良いだろう。

ぼくにとって文学というのは、肩ひじ張って向き合うものではなく、日常生活の延長線上にある。例えば、家の中で偶然小さな蜘蛛を見かけるたびに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出すし、ユーミンのコンサートで苗場に行くと必ず川端康成の「雪国」を心のどこかで想いながら過ごす。

そして、そういう想いをひそかに抱きながらペンを走らせるのも無上の喜びとなるのである。まぁ、すべては自己満足にすぎないのだけれども、書くという行為は、素人のぼくたちからすれば、誰に対するものでもなく、自分に対するものであることが多いので、自己満でも良いではないですか。という気になる。

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シェアすることの面白さ

SNSで、ぼくのプロデュースをしたコトバノイロシリーズのインクを使って、様々な方々が想いをつづったり、あるいはそれぞれにそのインクからインスパイアされた文字を書いたりしているのを拝見するたびに、ぼくはとても嬉しい気持ちになる。そして、そのインクたちが、その人の人生においてどんなドラマを紡いでいってくれるのだろうと想像するのもまた楽しい。

だから、自己満足ではあるけれども、その自分の世界を共有するということもまたこれからの時代にはとても大切になってくるんじゃないかって思う。

これからも、皆さんのコトバノイロの物語を楽しみにしている。

夏の終わりに楽しむコトバノイロ物語

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<この記事に登場するインク>
Pent〈ペント〉 ボトルインク コトバノイロ

この記事を書いた人

武田健
武田健
文具ライター、山田詠美研究家。雑誌『趣味の文具箱』にてインクのコラムを連載中。好きになるととことん追求しないと気が済まない性格。これまでに集めたインクは2000色を超える(2018年10月現在)。インクや万年筆の他に、香水、マステ、手ぬぐいなどにも興味がある。最近は落語、文楽、歌舞伎などの古典芸能にもはまりつつある。
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