玉石参房 第二十一房「草枕」自分の見せ方―虚のなかの実(じつ)
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玉石参房 第二十一房「草枕」自分の見せ方―虚のなかの実(じつ)

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もし神経症になっていなければ。
胃潰瘍にもなっていなければ。
MりOがい氏のように留学期間を
4年くらいパリピとして楽しめていれば。
(伏せ字とは)

頭脳明晰、真面目で洒脱。
弟子も多いが、浮気はしない。
(弟子との浮気はあの作家とかその作家とか…)

崇高で健全、お子様が読んでも親御さん安心!
な作家の「たられば」を考えると、

そんな悩み少ない彼がいる世界線では、
病苦の気晴らしに小説を書くことを、虚子はすすめなかっただろうなあ、
各名作も生まれなかっただろうなあ、

100年経って、壇ノ浦付近に住んでいた女子高生の
うすぼんやりとした進路に
一石を投じることもなかっただろうなあ、
というわたくしのほか、

100年を超え、いまだにおびただしい数の人々の心に
ガツンと命題を投じ続け、
彼らの人生もかえてしまったであろう作家の初期作品、

「草枕」by夏目漱石

のイメージインク「コトバノイロ・草枕」にて
朝比奈斎(最初の進路相談で英文学科・美術科・社会学科・宗教科と書いて担任に膨大な各資料を用意させ、最終の進路相談で日本文学科と提出。担任、我を3度見する)が
お色見本を作ります。どうぞよしなに。

「コトバノイロ・草枕」は深い緑。
「コトバノイロ・こころ」、「彩時記・松風」の
緑系3色を並べてみました。


濃い色ではほぼ見分けがつかなくても、
加水分離の色をみると違いがよくわかります。

松風は明るい蛍光イエロー、
こころは明るい緑を支える蛍光グリーン+蛍光ブルー、
草枕にはあたたかみのある蛍光オレンジが。

赤味を含む落ち着いた深緑と、
水をふくんでほぐれる淡い薄緑が魅力的です。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルト折り紙
併用インク:「彩時記・琥珀月」「コトバノイロ・こころ」


前回につづき、万年筆インクと樹脂ねんどを混ぜる暴挙
もとい初の試み。
さらさらのインクに増粘剤をまぜることで
樹脂ねんどとのなじみが良くなります。
今回は、彩時記・琥珀月をまぜて金木犀の花を。

本文は「こころ」から金木犀の場面。
主人公の「私」がそうとは知らず、先生と会った最後の時です。
こころと草枕、2色を使って書きました。
どちらのお色かお判りになる方は、かなりの通でありましょう。
※※※

「吾輩は猫である」を書きあげた10日後に執筆を開始し、
2週間で書き上げた「草枕」。
早っ!!

朝日新聞社で職業作家として書いた第一作「虞美人草」の1年前です。
小作品も含めると、その当時の筆の進み具合は
まさに水を得た魚のよう。

話の筋は簡単なのに、
1頁ごとに小ネタ情報量が、これでもかとてんこもり。

英文学諸作品、漢詩、中国古典、俳諧など日本古典、
「ハムレット」題材のミレー「オフェーリア」や
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」からの諸画、
端渓硯や名工焼き物などの美術品、建築物、植物など、

予備として知っていると、
さらに面白く読める仕掛けが
たくさん埋め込まれています。

「草枕」に続く「虞美人草」「三四郎」、
講演「文芸の哲学的基礎」でも
主題となる同じキーワードが繰り返し出てきます。

「智・情・意」「真・善・美・壮」、
赤い花と白い花、紫と金、九寸五分、
文明と古典などなど。

そこに着眼した「草枕」に関する論説考察はたくさんあり、
各著面白いので機会があればそちらも是非。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルト折り紙


湯にほぐれていく身体のようす。
読んでいると、温泉に行きたくなります。
この場面のすぐあとに、ドッキリ吃驚アクシデントが。
(漱石自身の温泉場ハプニング体験がモデルとのこと)


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルトしだれ桜


「草枕」の冒頭&末尾は超有名箇所ですが、
どの頁にも魅力的な表現がいっぱい詰まっている「草枕」。
「数万の甍に、数万の月が落ちたようだ」に唸ります。
「コトバノイロ・草枕」の落ち着いた深い緑は、
思考表現にぴったり。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルトしだれ桜
併用インク:「彩時記・琥珀月」


主人公「余」の創作詩として書かれていますが、
ジョージ・メレディスの小説「シャグパッドの毛剃り」からの
挿話「バナヴァーの物語」の一節とのこと。

苦渋の留学期間とはいえど、研究に邁進没頭した漱石は
あまたの英文学を読んだことから、西洋文学での
「悲劇をもてはやす傾向」にも言及。
さすれば勿論、あの迷作名作「嵐が丘」の登場人物達も目にしたことでしょう。

留学前に「舞姫」を読み、
エリスの清楚=西洋女性イメージで留学したら
「嵐が丘」キャサリンみたいなのばかり見て
苦虫嚙み潰したんじゃなかろうか、と個人的ニヤニヤ

でも新進気鋭の大英帝国でも、
貧富の差、劣悪労働、自殺率増加など産業革命の弊害による
先行き不安がすでにあり、

文明開化イケイケドンドン西洋模倣万歳な大日本帝国下で、
「滅びるね」といった広田先生(「三四郎」)を
創り出した漱石ならば、

エミリー・ブロンテのパンクロッカー的反骨精神を
感じ取れたならば、
意外と、波長、あうかも…(う~ん?)

大塚楠緒子など女流作家の弟子もいた漱石は、
女流作家への後押しもさることながら、
女性と家とのしがらみや権利、日常の振舞い方について
「新しい女」として独特の視点を持っています。

特に、
人の目にどう映るかを意識した振る舞いと、
人の目を介さない無意識的な感情の発露の対比が見事です。

「草枕」ヒロインの那美は、
とくに意識と無意識の差が激しく、
隙のない、人をくったような性格の言葉はさみの中、

ふ、と無意識に表れるなんともいえない人間らしい心情、
「憐れ」および「情け」は作中でたった2回だけでした。

そんな那美の第一印象の表現を。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルトしだれ桜


主人公・洋画家の「余」は旅行者なので、
那美の素性を聞いたとしても、一過性の存在。

いつまでも噂を続ける退屈な地元の田舎者たちとは違い、
東京の文化教養の香りがする「余」は、
那美にとっても一時の刺激剤です。

死んでいるように生きている日常のなか、
「奇行」とも言えるような諸々の行動は

本来の自分らしさ、
こう在りたい、見られたい自分の演出の裏返し。

そんなエキセントリックな那美と「余」の、
どきりとするような出来事は数回仕掛けられています。
そのうちのひとつ。地震発生時のふたりの場面。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルト折り紙


大人ふたりの至近距離。
下手をすると下品になりかねない場面でも、
漱石独特の文体は、非常に格調ある表現に。

とくに浴室で鉢合わせ(←意図的)
する那美の裸体の描写は、
漱石の(ある意味、美術オタク的な)観察眼によって
圧巻の筆致です。圧巻過ぎて、

逆にドギマギしている自分を抑えんが為に
めちゃめちゃ早口な描写にも読めてしまう。
寸止めにもほどがある。

凡庸な筆力ならば、那美と「余」を男女関係に
簡単に落とし込むところ、
あくまでも芸術的視点であること、
女性に対する一種冷ややかな皮肉があるため、
安易な一線越えにはなりません。


用紙:三善トモエリバー
Gペン:立川ピン製作所
ペン軸:大西製作所・コルト折り紙


こちらも「草枕」内で有名な羊羹の表現。
谷崎潤一郎「陰翳礼讃」がお好きならば、
こちらもお好みではないでしょうか。

「Gペンは太くかけますが力任せの道具に非ず」
当コラムでの常套句であります。

おなじペン先で、髪の毛よりも細い繊細な線も可能。
ペンを持ち替えなくて済む便利さと、
力の変化による紙との接地面、線や音の変化が楽しい。


前回に続き、「コトバノイロ・草枕」を練りこむと、
柔らかな草餅風の色合いに。
「琥珀月」の樹脂ねんどは
掬ったバニラアイスやクッキーのような風合いもでます。

虚構のなかで、ふっと浮き出る人間の無意識。
そこに誰でもあてはまる、人間の真実味があらわれます。

文学とはなにか。
人間とはなにか。自分・他人とはなにか。
生きるとはなにか。

漱石の練りに練った洒脱の文章は
親の愛情をうけなかった生い立ちや
家族を翻弄させる病苦という現実をスパイスに、

今日も教科書で、書店で、図書館で、電子図書で、
人々に読み継がれていくことでしょう。

色にいざなわれて開ける扉の向こうにひろがる、
「草枕」の世界。
インクの楽しみの入り口となれば幸いです。

夏目漱石はじめ森鴎外その他文豪も甘い物好き多し。
本作で洋菓子は否定的に書いていても、
カステラ大好物の漱石。
医者にとめられてもジャムは一瓶あっという間に舐めてしまう。

「尤も不愉快な2年」とイギリス留学を貶し気味でも、
貶すわりには、ほんとは好きよね?英国。
帰国後は自分だけがっつりバターのせたパン派に。(家族は和食)

まずい定評のイギリス食文化の中、
プディングもオートミール(砂糖掛け)も大好物。
アフタヌーンティーも好物多く、
わびしい留学生活での唯一の愉しみだったかも。

おっと、イギリス式自転車も楽しそうだったじゃないの?

ほんとに、病気さえなければ。
留学資金も余裕があれば。
楽しく過ごす留学期間がせめてあともう少し長ければ。

たられば世界線ならば、漱石作品は世にあらず。
わたくしも漱石に出会わずGペン書写も為しえなかったかも…とたまには感傷的(←意図的)な朝比奈斎(進路のみならず常に人生のリセットボタンを連打)でした。
ではまた。

<今回のメインインク>
Pent〈ペント〉ボトルインク コトバノイロ 草枕

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この記事を書いた人

朝比奈斎
朝比奈斎
憧れの高級文具から教室に忘れ去られた名もなき消しゴムに至るまですべての文具を偏愛する者。
文字は下書き無し・肉付け塗り無しの一発書き。
文具・画材・多肉愛好家として雑貨店「SHOP511」にて多肉植物の育成販売と文具雑貨諸事の販売に携わる。好きな言葉は「玉石混淆」

Twitter:@asahinaitsuku
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